2016年3月22日@mona records おんがく食堂
 撮影 / 後藤壮太郎


 nicoten結成秘話

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 OKD
 ツアー初日お疲れさまでした〜! カンパーイ!

 宮田 今日のお客さんでさ、「今度nicotenを自分のバンドでコピーするんです」っていう男の子がいたんだよ。

 OKD いよいよコピバンが現れたか〜!

 ひろせ 我々はそもそもコピーバンドだったからね、それは嬉しいことだよね。

 OKD 俺が入る前、2人はチャットモンチーとかコピーしてたんでしょ?

 ひろせ そうだよ。nicoten結成当初は宮田くんが女の子目線で歌うっていうのがなんとなく大軸であって。
 そういえばOKDと俺らっていつ知り合ったんだっけ?

 宮田 ナリが組んでたバンドの主催イベントに、俺が組んでたバンドとOKDが組んでたバンドが出たんだよ。
 そのときじゃないかな。

 ひろせ ああ、そうだった。そのときのメンツ、結構えげつなかったよね。
 real(改名前のKEYTALK)、OKAMOTO’S、Brian the Sun、tista(HOWL BE QUIETの前身バンド)……
 あとは俺らがそれぞれ所属してたバンド。

 宮田 だったねえ。そのあと俺のやってたバンドから俺と古屋(nicotenの元ギタリスト)以外のメンバーが、
 大学が忙しくなって抜けることになって。でもライブ出演がすでに決まっちゃってたから、俺、古屋、ナリ、あとOKDの前にいた
 ドラマーのマサっていうメンバーで、ライブに出て。そのライブが終わったあとも、またこのメンバーでスタジオ入って遊んだよね。
 だからそのタイミングがnicoten…、当時は「・・」名義だったけど、結成の瞬間だったはず。

 ひろせ うん。そのあとマサが辞めて、代わりにチャンツーっていう別のドラマーを迎えてライブをやったね。
 で、そのライブをOKDは観てたんだよね? 確か。

 OKD いや、なんだったら俺がチャンツーよりも前に誘われてたんだよ。
 でも自分のバンドでツアーが決まってたから断って。

 ひろせ あはは(笑)。そうだったね。でも俺と宮田くんの中ではずっとOKDがいいと思ってたよ。

 OKD まあ、ずっとこの3人で遊んでたしね。

 宮田 うん。その新しいバンドからチャンツーがいろいろあって続けられなくなって。そしたらもうOKDしかいないよなって話になって、
 ナリと一緒にOKDのバンドのライブを観に行ったよね。


 ひろせ
 そう。その頃OKDのバンドは雰囲気が恐ろしく悪くてさ、その日の打ち上げもOKD以外のメンバーが帰っちゃって。

 宮田 そんで、打ち上げに残った俺らは朝まで飲んでOKDを口説き落としたっていうね。

 OKD そうそう。で、結局そのあと俺が組んでたバンドは解散しちゃった。




 上り調子の2012年
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 宮田 オリジナル曲を作り始めたきっかけは映画「ソラニン」関連のコンテストだったよね。古屋が宮﨑あおいのことを大好きでさ。
 賞を取ると宮﨑あおいが劇中で弾いたムスタングがもらえるっていうから、オリジナル曲を作ってそのコンテストに応募して。

 ひろせ あー、「魔法のiらんど」のやつ。

 OKD ていうか、「魔法のiらんど」って懐かしいな(笑)。

 宮田 ね(笑)。で、そのときに「トビウオ」を作ってさ。

 ひろせ うん。その流れで俺が片っ端からいろんなコンテストに応募しまくって、
 その中でロッキング・オンの「RO69JACK 10/11」に引っかかって。

 宮田 それぐらいのタイミングで、新宿LOFTの樋口さんと出会ったよね。あれはすごく俺らにとって大きな出来事だった。

 ひろせ 樋口さんが昔、本気で活動しているバンドのあり方みたいなものを説明してくれたじゃん。
 それが俺らの想像していたバンド像とは違くて、何も言えなくなっちゃってさ。
 で、そのときにマジになろうってみんなできちんと話し合ったよね。

 宮田 うん。そのあと樋口さんは俺らに「四季に合わせたイベントとかをやると面白いんじゃない?」っていうアイディアをくれて。
 そのときに樋口さんが「同い年ぐらいでがんばってるバンドがいるよ」ってTHE NAMPA BOYSを連れて来てくれて、
 同期はほかにもいたけど、ナンパが一番仲良くなったよね。

 ひろせ 同期といえば、SuchmosメンバーがやってたOLD JOEとか、
 D.A.N.の桜木くんがやってたMOL SCIENCE FICTIONとか?

 宮田 あとはふぇのたすの前身バンドのphenomenonとか、今tonetoneで活動してるたむちんがやってたボナンザグラムとか。
 こうやって考えると、今も同じ形でやってるバンドは少ないのかも。

 OKD そうだね。樋口さん企画のイベントに出てた当時のバンドで、今と同じ形態で続けてるのは我々ぐらいだ。

 ひろせ イベントと合わせてリリースした四季盤はなんかいろいろ大変だったよなー。

 宮田 うん。お金のことをなんにも考えずにレコーディングして、1枚300円で200枚限定かなんかで売って超赤字(笑)。
 レコーディングに結構お金がかかったのに、とにかくお客さんに聴いてほしいっていう気持ちしかなかったから、そういう形で出して。

 ひろせ そうだったね。あと俺、四季のライブと四季盤を含めてさ、
 樋口さんと一緒に作った計画表通りにバンドが進んでいって驚いたことを超覚えてるんだよね。
 この時期にメーカーから声をかけられて、その翌年にデビューとかそういうことが書いてあったんだけど、
 その未来予想図通りのことがどんどん起きて。

 宮田 本当にこの年は思い通りに進んでいった年だったね。

 ひろせ うん。いろんな人から名刺をもらったけど、その中でSMAの人がずーっとライブに通ってくれたよね。

 OKD そのずっと気にかけてくれてた人が、2011年の秋頃に突然ライブで
 「君らの面倒を見たがってる人がいる」って紹介してくれたのがレコード会社のヤブさんだったね。

 ひろせ ヤブさんは「次、ライブいつなの?」って聞いてきて、「来週京都なんですよね」って答えたら、
 「ああ、じゃあ行くわ」って言って本当に来てくれて。

 宮田 そうそう。その頃ギターの古屋が就活とかで辞めることになって、1週間後に決まってるライブをどうしようって
 焦ってたところにやってきたのが志門さん。

 志門 ふふふ(笑)。事務所の人からnicotenのサポートを頼まれて、音源が届いてやることに決めたんだよ。

 宮田 あのとき2、3日で6曲ぐらい覚えてきてくれましたよね。一緒にスタジオ入って超感激したもん。

 ひろせ 本番で志門さんは楽譜も見ずに俺らと合わせて弾いてくれて、3人で超感動したの覚えてる。

 志門 だってあの雰囲気で譜面台立てられないでしょうよ(笑)。あの頃のnicotenは超音がデカかったよね。
 狭いスタジオでデカい音鳴らしてて、でも音はポップでさ、「どないやねん(笑)」って思ったよ。

 宮田 あはは(笑)。古屋が辞めて、冬盤でギターを弾く人がいなくって、ノーギャラで頼めるギタリストを探して
 OKDのオヤジに頼んだこともあったよね。
 しかも俺とナリはOKDのオヤジにレコーディング代も少し払ってもらおうとして、OKDが
 「なんで岡田家で半分払わなきゃいけないんだよ!」って怒って(笑)。

 OKD そうだよ。カップラーメンとか差し入れまでしてくれたのに(笑)。

 ひろせ その頃インディーズでミニアルバムを出そうっていう話も持ち上がっていたし、ギタリストを募集したりもしたよね。

 宮田 結局いい人がいなくて、志門さんに参加してもらったね。

 ひろせ うん。それで完成したのが「メトロナポリタン」。このアルバムを作った2011年はけっこうデカいライブにも出させてもらったよね。
 事務所とtvkが赤レンガ倉庫でやった「tvk 40th anniversary LIVE 2012~カモンカモン!赤レンガへ tvkに映るんだ~」とか、
 SPARKS GO GOの「SHINKIBA JUNCTION」とか。事務所主催イベントにオープニングアクトとして出させてもらった。

 宮田 そういうデカいイベントでnicotenはお客さんの反応がめっちゃよかったよね。用意してきたCDが会場で売り切れるくらい。

 ひろせ うん。俺らはもう2013年にデビューすることが決まってて、2012年はバンドとして本当に楽しい1年だった。
 スタッフはみんなnicotenに期待してくれてたし。

 宮田 うん。あとフラカンとかスカパラとか事務所の先輩とたくさん競演したのもすごく勉強になったね。
 で、2013年に入ってからデビュー盤のもろもろが動き始めて。

 ひろせ そうそう。2013年5月にレコード会社のショーケースライブがあったんだよ。

 宮田 で、ショーケースライブ当日にメジャーデビューすることが発表されたよね。




 メジャーデビュー年の地獄のクリスマス

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 
ひろせ メジャーデビューしてからは、いろんな地方にキャンペーンにも行かせてもらったし、ラジオでパワープレイもたくさん取れてさ、
 もう「よっしゃー!」って感じだったね。

 宮田 うんうん。「アルドレアe.p.」の発売日はJ-WAVEで生ライブもさせてもらって、「デビューだ!」って実感した。

 
OKD スピッツの前座もやらせてもらったし、真心ブラザーズのライブに帯同させてもらったりもして、本当に絶好調な感じだった。

 宮田 うん。で、デビューしたらすぐ次の「Exit e.p.」の制作も進めていって。

 ひろせ そうそう。「アルドレアe.p.」「Exit e.p.」のリリースが決まった時点で、そのあとにシングルを出して、
 フルアルバムをリリースするっていう流れがなんとなくあったしね。
 でも「アルドレアe.p.」が思った以上に売れてなかったこともあって、なんとなく現場の士気が下がってるなっていうのを感じた。
 それが確信に変わったのが「Exit e.p.」のショップ周りをしたときで、「アルドレアe.p.」のときよりも展開されてないし、
 そもそもCDが置かれてなかった店舗もあって。
 実際に枚数が出ていないと全然プロモーションしてくれてないんだなって思ったよね。でもCDショップによっては
 nicotenをすごく気に入ってくれて、いろんな展開を提案してくれる人たちも常にいてくれて。
 音源は間違いないものを作っている自信があったから、そのあたりから曲作りよりも、バンドの方向性で
 悩まされることが多くなっていったような。

 宮田 ライブはデカいところでやらせてもらえるのに、なんかスタッフチームの雰囲気がヘンでちょっと疑心暗鬼状態だったよね。
 自分たちがいいと思って出したものが評価されないっていう現実を受け止められない上に、
 結果がでないことを事務所やレーベルからも言われていたし。

 ひろせ そうだね。それもあって「Exit e.p.」を出したあとくらいから、バンド内の雰囲気がなんとなく悪くなったよね。
 思ったように行かない自分たちに対してモヤモヤしてたというか…。俺たちはnicotenを楽しんでやりたいのに、
 事務所に「楽しいとかじゃなくて、お前らプロだろ?」って言われて、「え? プロになると楽しくやっちゃいけないのかな」って思ったりもした。
 そのときぐらいからさ、スタッフとのやり取りもなんかぎくしゃくしてさ。

 志門 みんなが言いたいことを我慢して会話してたよね。すごくそれは感じたよ。

 ひろせ 結局言ってもしょうがないって思ってたんだよね。

 宮田 本当にメンバー間も、スタッフチームも風通しが悪くて。福岡とか札幌は俺らのことをすごく応援してくれてたから、
 地方公演は超楽しかった。でも東京に戻ってくるとどんよりしちゃって…。

 OKD で、2013年クリスマスの地獄打ち合わせだよ。事務所とレーベルに「今の結果じゃフルアルバムは作れないよ」って言われて。

 ひろせ 事務所の人に「こういう結果なのはなんでだと思う?」って聞かれて、俺が「いや、ライブしてないからっすよ」って答えたら、
 「今そんなこと言ってもしょうがないじゃん」って一蹴されてさ。ライブをあんまりやらせてもらえなかったのは事実なのに。

 宮田 打ち合わせが終わったあとに、メンバー同士で「あれはナリが正しかったよ」とか慰め合うみたいな。
 ナリがそうやって言ってくれるのを心の中で頷きながら聞いてたよ。




 去年の自分たちにイライラしていた2014年
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 宮田 で、なんとなくどんよりした空気のまま2014年に突入したけど、事務所やレーベルからリリースとか
 ライブの年間計画みたいなものも一切出てこなくなっちゃって。

 OKD 何もないなら俺らが動かなきゃと思って始めたのが「nico labo」と「ニコバザール」。なんかさ、
 ぶっちゃけ2014年って本当によくない年だったと思わない?

 ひろせ うん。リリースがないなら新曲発表の場はライブになるはずなのに、マネージャーに新曲じゃなくて
 既存曲でライブをやるように言われてたから、セットリストが1年間ほぼ一緒だったし。
 新曲をやらないから新鮮味がなくてライブがつまんなかったな。

 宮田 俺も全然ライブが楽しくなかった。

 OKD だよね。アコースティックっていう新しいものに挑戦できる「nico labo」のステージだけが心の拠り所だった気がする。

 志門 確かに「nico labo」だけクリエイティブだったよね。

 OKD
 同年代とかちょっと先輩のいい人たちと一緒にやらせてもらう機会もあったし、お客さんもそれなりについた。
 それはよかったんだけど、どうしても楽しめなかったんだよね。

 ひろせ 横のつながりがあんまりない俺らに事務所の人たちがいろんなバンドをつないでくれたのはありがたかったけどね。
 2014年は本当にライブをしまくるっていう1年間だったな。

 宮田 そうだね。この年に俺らを知ってくれた人はたくさんいたと思う。
 でも俺はこのとき、もうnicotenの音楽は俺らが楽しむものじゃなくて、仕事としてやるものなんだなってめちゃくちゃ感じたの。
 CDに結果が出ないとか、ライブはこういうものにしたほうがいいとかいろんな話が出たときに、
 自分がやりたいことをやるべきではなくて、よりよいものに仕上げることが大事なんだって。
 そう思った瞬間にライブが楽しくなくなってきちゃって…。

 ひろせ そうだったんだ。

 宮田 うん。お客さんの反応を考えてMCとかパフォーマンスをするようになってからなんか楽しくなくなっちゃった。
 このときは俺らが楽しむんじゃなくて、お客さんを楽しませることが大切なんだなって思ってたよ。

 ひろせ なるほどね。俺、2014年はインプットの年だったと思うんだよ。この年はみんないろんなバンドの音楽を聴いてたし。
 で、2014年の終わりくらいからみんな曲をガンガン書くようになったよね?

 宮田 そうかも。2014年にバンドとして発表した新曲は「テレパシー」だけだったよね。この曲だけマネージャーから
 「新曲だけどいい曲だから、『テレパシー』ならやってもいいんじゃない?」って許しが出たからやってた。

 志門 側にいた俺からすると、3人は悩みながらもいいライブをしてたように思うよ。地方でお客さんがついたり、
 「nico labo」もお客さんがいっぱい入ってたじゃん。だから傍から見たら順風満帆だったのかもしれないよね。
 ただ本人たちが楽しめてないだけで。

 ひろせ 結局結果が出せなかった2013年の自分たちにイライラしてただけなんだよ。その一言に尽きる。

 OKD まあでも2014年に「nico labo」をやってなかったら今回のワンマンツアーはできなかったしね。

 宮田 そうだね。バンド編成じゃない形で自分たちの音楽を届けられたことで、俺らもそうだし、
 スタッフさんも、お客さんもnicotenの曲のいいところを再発見できたし。


 nicotenを続けるために事務所とレーベルを辞めた

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 OKD で、2014年の秋ぐらいにフルアルバムの話が急に持ち上がったんだよね。

 ひろせ うん。スタッフさんから「3カ月連続リリースしてアルバムなんてどうよ?」って提案されて。

 宮田 俺らはもう曲を出したい気持ちでいっぱいだったから言われたときはすごくうれしかったよね。
 で、アルバムプロデューサーの浅田さんを紹介してもらって。

 OKD 最初の打ち合わせは浅田さんとメンバーだけでやって、2014年の愚痴を言いまくったよね(笑)。

 ひろせ 浅田さんは俺らの愚痴を全部笑って聞いてくれて、「ははは(笑)。バンドがえらいんだから、
 そういう考えでいいんだよ」って言ってくれてすごく救われたよね。

 宮田 昔の音源とかもたくさん聴いてくれた上で、浅田さんが言ってくれた
 「デビュー盤は試聴して買わないけど、四季盤を試聴したら俺だったら絶対買う」っていう一言はデカかったよなあ。

 ひろせ 俺らの中でモヤモヤしてた「これって俺たちのやりたいこと……? いや、ダメだ。自分たちが作った作品だった!」
 みたいな感覚から、「自分たちがやりたいものをやって間違いないんだ」っていう感覚に変わった瞬間だった。
 俺たち主導で作ったものを評価してくれる人が現れたことで、目の前が一気に晴れて。

 宮田 浅田さんは「四季盤は試聴機で試聴したら買うけど、『アルドレア e.p.』と『Exit e.p.』は俺だったら買わない。
 なんでだと思う?」って、俺らに聞いてきたことがあったね。それに誰も答えられなかったら「さっき俺に話してくれた
 2014年にも感じてた不満とかが音に出ちゃってるよ」って教えてくれた。で、「たぶんこの四季盤を作ったときは、
 自分たちが音楽を純粋に楽しくやってる気持ちが入ってるから、この音源はいいんだよ。
 その気持ちを思い出してもう1回アルバムを作ってみない?」って言ってくれて、そういうところから
 「アンシャンテリーゼ」の制作を始めたね。

 OKD いろんな人に協力してもらって、本当にいいアルバムができたと自負してるよ。

 宮田 うん。俺も。だからこのアルバムをたくさんの人に広めたくて、プロモーション案をたくさん考えて
 レーベルに持っていったよね。

 ひろせ それが全然通らなかったんだよね。それならば事務所と一丸になって、レーベルに声を挙げなきゃと思って、
 nicotenみんなで事務所に相談しに行ったよね。

 OKD そしたら「お前らがやりたいことがあるなら、自分たちでやりなよ」みたいなことを言われて……。

 ひろせ そのときに、そういうことなら事務所を辞めようっていう話が出たね。

 OKD うん。でも事務所の言うことは間違ってなかったと思うんだよ。だってチームとしてやるなら
 俺らの言うことも聞いてくれっていうのは正しいし。辞めようっていう話が出たときに、俺はメジャーのフィールドで続けられるのであれば、
 もう1年踏ん張るのもアリじゃないかなって言ったよね。事務所もレーベルもいろいろ手伝ってくれたのに、
 まだなんにも恩返しができてないなと思ってたから。

 宮田 うん。で、みんなでいろいろ話して、あと1年がんばろうってまとまったんだよね。

 OKD それで、3人で事務所に「やっぱり残ります」って言いに行ったら、「1回辞めることを匂わせた時点で、
 スタッフの士気も下がっちゃってるし、戻るっていうのは現実的じゃないよ」って言われたね。

 宮田 まあそんなやり取りもありつつ、俺らは会社から辞めてほしいと言われたわけじゃなくて、
 nicotenを続けるためにどう動くかっていうのを選んだ結果、事務所とレーベルを辞めた。
 その決断に対して全然不満はないし、むしろ今はすごく楽しく音楽活動ができてる実感があるよ。

 OKD 俺も。で、事務所辞めて自分たちで好きにできるようになって、まずやりたいことはなんだろうって考えたときに、
 浮かんだのがワンマンライブだったよね。

 宮田 事務所にいたときはワンマンできなかったもんね。まあ集客とか考えたら、わからなくもないんだけど。
 でも挑戦したかったし、それはマストでやろうと思った。

 志門 でもさ、アルバム出してからお客さんの反応っていうのはどうだったの? 当然良かったでしょ?

 宮田 自分たちが直接伝えられる範囲では評判が良いのはわかったけど、それより先の人たちに
 nicotenの新しい音楽が届いてるかどうかがわからなかった。

 ひろせ きちんと届いたことを実感できたのは7月のワンマンだったね。アルバムの曲を聴いて盛り上がってくれる人たちがいて、
 やっといい作品が作れたんだなっていうのわかったというか。




 そろそろ終電じゃない?

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 宮田 会社を辞めて自分たちだけでバンドを進めていくようになってから、本当にいろんな人にお世話になっていたんだなって
 痛感したよね。地方に行くとさ、マネージャーはこんなにいろんなことしてくれてたんだってすごく思う。

 ひろせ そうだね。マネージャーがしてくれたことで大きかったのは、2014年に出させてもらったライブハウスに
 ちゃんとnicotenとのパイプを残してくれたこと。だから今でも地方でライブができるし。あとさ、辞めてからよく言われるのが
 「え、nicotenってライブに誘っていいの?」っていうの。

 OKD あー。言われるねえ。

 ひろせ チーム全体でかなり吟味してnicotenの出演ライブを選んでくれていたもんね。それが正しかったのかどうか、
 未だに俺らはわかってないけど。

 宮田 うん。事務所を辞めてからの動きで、作品の面で言うと「アンシャンテリーゼ」の収録曲以外にも
 たくさん新曲があったからそれを会場限定盤としてリリースしたよね。「微炭酸ロック e.p.」とか、個人盤とか。
 でもこうやって動き出すきっかけをくれたのは、アー写とかジャケ写を撮ってもらってたカメラマンの中野敬久さんだったね。
 中野さんは何もわからない俺らにいろいろアイディアをくれたし、ほかにもグッズの制作を手伝ってくれるデザイナーさんがいたり、
 ライブ写真を撮ってくれるカメラマンさんがいたりして、2015年は自分たちを好きで応援してくれる人が
 すごく近くにいたっていうことに気付かされた1年だったな。

 OKD 自分たちが満足いくアルバムが完成して、念願のワンマンも成功して自信がついた1年でもあったよね。
 「ここからもう1回スタートできるぞ!」っていう気分にもなれたし。

 ひろせ ワンマンをやった頃に、来年の4月に1つ勝負しようって話をしたよね。2016年の年間計画を立てる中で、
 1枚アルバムを出そうっていうのと、大きい会場でワンマンをやろうっていう話が上がって。
 GOODWARPとか荒川ケンタウロスとか俺らがよく競演してたバンドがこれくらいのタイミングで みんなO-WESTでワンマンをやってたし、
 俺らもそれを追いかけてやってやろうと思ったよね。

 宮田 そうだね。

 ひろせ アコースティック編成で回る理由もさ、5年間でアコースティックスタイルに自信がついたからっていう感じで。
 地方でアコースティックってあんまりやってなかったし。

 OKD 去年やったアコースティックワンマンで、どこでやっても大丈夫だなってすごく感じたね。
 nicotenの2015年のキモはバンド編成とアコースティック編成両方のワンマンを成功させたことだと思うな。

 宮田 うん。で、今年はこのツアーが終わったら、新作もリリース予定だしね。まだ詳細は言えないんだけど。
 そういういろいろはO-WESTでみんなに直接伝えたいな。
 ……あ、そろそろみんな終電じゃない? 今日はめっちゃ歌詞が飛んじゃったけど、本当に楽しかったな。

 ひろせ 楽しいのはいいと思うんだけど、このツアーでよりストイックにならないと俺らに先はない気がする。このツアーは絶対踏ん張りどきだよ。
 後悔しないようにストイックにライブをやっていきたいから、歌詞を飛ばすのは本当にやめてくれるかな?

 宮田 すみません! 次はがんばります!

 OKD まあまあ(笑)。
 でも宮田くんが今日のMCで言ってたように、自分たちが楽しいと思うことが伝わるライブを重ねていけたらいいなと思うよ。





 「CIRCLE OF 5th」
 2016年4月22日(金)
 会場:渋谷TSUTAYA O-WEST

 開場:19:00 開演:19:30
 出演:nicoten(ワンマン公演)
 前売料金:¥3,000(tax in)ドリンク代別途必要
 プレイガイド:e+ / ローソンチケット
(Lコード75647)
 問:渋谷TSUTAYA O-WEST(03-5784-7088)